ココロもカラダもまんぷくに

こどもの為の食堂に取り組むまでの経緯、日々の日常、食べた物など気が向くままに

徐々に動き出してます、こども食堂

ご報告遅くなりましたが・・・

娘が夏休みの間、親子関係は相変わらずの一進一退の中、こども食堂の構想に関しては劇的な第一歩がありまして・・・

こども食堂するに当たって、一番の課題は場所と食材。
場所は、市の公民館や、役所、社協さんなどに当たってみたりと色々してて、確実とは言えなくてもなんとか協力してくれそうな感じもつかめてました。

さぁ、食材・・・と。

昔、小学校の社会でも習ったことあります。
需要と供給満たすために残念ながら捨てられてしまう食材があるという事。最近の事情は知りませんが、少なからずあるんじゃないかと。

あとは、パッケージの問題などで市場に出ない製品とか。

「食品   廃棄」みたいな感じで調べたら、、、

「フードバンク」という存在を知りました。

その中で、私が調べた限りで唯一大阪にあった「フードバンク」


こちらです。


まずは電話で問い合わせてみました。

結果から言うと・・・

正直、玉砕って感じでした。
そりゃそうです。もともとフードバンク大阪様も、決まった納入先もあります。そこにいきなり、しかも一個人がやるかやらないかもわからない、見通しも立ってない、それに対してこちらの望む物品を支給してもらえるとは到底思ってませんでしたが。

それでも、とても丁寧な対応と、お話を聞いて頂き、現状では常に入ってくるのはこんにゃくと、缶詰のスープ類、冷凍パンとの事。

当たり前の話ですが、食品衛生の関係上、野菜類などの生鮮類はなかなか入手が難しいみたいで。企業様からしても、うちの出した食品で何か問題が起これば!!との思いもあるでしょうし。

私が望む日に、望む物はお約束出来ませんが、そんな感じで良ければ是非・・・と言って頂き、電話を終えたのでした。


こんにゃくは確保できた(笑)



そのやりとりが8月初旬でしょうか・・・



そして、とある日。
お盆の中頃だったと思います。

知らない番号から一本の電話。

先日お話した方とはまた違う人で。

「じつは、僕が食材提供で運んでる事業所がありまして、⚪️⚪️市(私の住んでる地域)で、こども食堂やりたい言ってる方がいらっしゃって・・・一度お話しませんか?」


なんとまぁ!!!!!

こんな事ってある?!


全くの手探り状態だったのが、一本光の筋が見えた気がして、ココロうきうきですわ。


生活困窮者自立支援法が今年の4月から施行されるにあたり、5月から事業所が出来たばかりとの事。母体団体はそれ以前にあるようですが。その中の人が同じ思いを持ってくれてたらしく、フードバンク大阪の方がたまたまそれを聞き、私の事を思い出してくれたようです。


私という一個人が、出向きもせずに電話で問い合わせただけなのに、きちんと引き継ぎしてくれてて、それを思い出してくれて、わざわざ連絡くれた。ほんまにありがたい事です。
縁ってほんまにあるねんなぁと思わざるを得ない。


そして、顔合わせの日。

豪雨の日でした。

事業所の方、フードバンク大阪の方、私。

色々お話させてもらいました。

まずは難しい事考えずに、プレオープンさせてみましょう!という事になりました。
やってみなければ、問題もわからないと。

うんうん。わたしもその考えです。


それから両者とも、すごく動いてくれてるみたいで。

この間もフードバンク大阪の方から連絡あり、違う地域でのこども食堂の視察の機会を与えてくださいました。



もともと、こども食堂をしようと考えた時、私も視察に行ってみようとまず先に考えたのですが、実際にこども食堂をやられているある方のFacebookに、「ビジネスになると思うからなのか、問い合わせが非常に多すぎて本来の事業に支障をきたす」と書かれてるのを見て、そりゃそうや!と思い、まずは自分で調べられる事は調べようと、そこは遠慮してたんですね。


フードバンク大阪の方が、ある地域のこども食堂に繋がりがあるらしく、今回視察のアポを取ってくださりました。
ネットワーク力ってすごいですね。
逆に、自分の非力さをひしひしと感じます💧
そのこども食堂さんも、月に何回という形でやっておられるので、いつ行くかは未定ですが、その様子は必ずお伝えします。





本当に感謝感謝です。
と、同時に、人の縁もすごく感じて。
縁とタイミングってほんまにあるなぁと。

話し合いした日、事業所の方がおっしゃってくれました。

「今日がまず第一歩の記念日ですね!」


8月17日。



こども「おばちゃん、お代わり〜」

わたし「はいな!」(817)


親父ギャグにも引っかからないようなしょうもないゴロ合わせを考えながら、一生忘れないであろう記念日を、一生懸命忘れないように帰ったのでありました(笑)